大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和61年(ワ)830号 判決

原告 嶋屋水産運輸株式会社

右代表取締役 島屋正朗

右原告訴訟代理人弁護士 羽柴修

野田底吾

古殿宣敬

被告 甲野花子

被告 乙山春夫

右被告ら訴訟代理人弁護士 後藤玲子

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金一八〇万円及びこれに対する被告甲野花子については昭和六〇年七月九日から、被告乙山春夫については同月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四  この判決は、原告において金五〇万円の担保を供したときは、主文第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告甲野花子は、原告に対し、金九〇〇万〇、八七四円及びこれに対する昭和六〇年七月九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告乙山春夫は、原告に対し、金九〇〇万〇、八七四円及びこれに対する昭和六〇年七月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  第一、二項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

請求原因

1  原告は、魚など水産物、同加工品の運送を業とする会社であるが、昭和五八年二月一〇日、訴外丙川太郎(以下単に「丙川」という)を雇入れた。

2  被告らは、前項の雇入れに際し、原告との間で、丙川の行為により原告が受ける損害を被告らが賠償する旨の身元保証契約を締結した。

3  丙川は、原告会社の運送代金の請求書発送、右請求代金の集金の業務に従事していたが、昭和五八年七月から同六〇年二月までの間に、別表記載のとおり、原告会社の取引先に対する四三件、合計金九〇〇万〇、八七四円を集金しながら、これを原告会社へ納付せず、ほしいままに着服横領して原告に右同額の損害を与えた。

よって、原告は、被告ら各自に対し、身元保証契約に基づく損害賠償請求として前記損害金九〇〇万〇、八七四円及びこれに対する被告人甲野花子については訴状送達の日の翌日である昭和六〇年七月九日から、被告乙山春夫については同じく同月三日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二 請求原因に対する認否

(被告両名について)

1 請求原因1の事実は認める。但し、雇入れの時期については不知。

2 同2の事実は認める。

3 同3の事実のうち、丙川が集金した金を横領して原告に損害を与えたことは認めるが、損害額は争う。

三 抗弁

「身元保証ニ関スル法律」第五条において、身元保証人の損害賠償責任を決定するにあたっては、裁判所は使用者の過失等「一切の事情」を斟酌すべき旨定められているので、以下の事情を斟酌して被告らの損害額は大巾に減額されるべきである。

1 丙川の管理監督に関する原告の過失

(一) 原告は、年商数億円の会社でありながら、経理部は丙川を含めてわずか三名であり、しかも経理部長の冨田をはじめとして入社歴の浅い者ばかりであった。このような職場で、丙川は入社以来ほとんど誰の監視、指導も受けず、現金の取扱い、帳簿の記入等重要な経理事務を任されていた。加えて、丙川の経理事務に対する原告の定期的な監査も形式上の域を出るものではなかった。

丙川が長期間にわたって多額の金を横領しえたのは、右のように、原告の監査体制がきわめて不備、ずさんであったからである。

(二) 原告の経理が前項のようにずざん、乱脈を極めたのは、原告が営利のみを追求し、会社の内部機構の整備を疎かにし、会社従業員の労働条件の向上に気を配ることのない前近代的な経営方針を採ったことに原因がある。

丙川の横領行為は、原告の営利追求のみを求め他を顧みない経営方針の当然の帰結である。

2 被告らが身元保証をするに至った事由

(一) 被告甲野花子は、本件身元保証契約を締結した当時、丙川の妻であったが、昭和五六年一二月見合結婚をしたばかりで、丙川の前科については全く知らなかった。また、被告入谷は、丙川が転職して原告会社へ就職することについて反対していたが、同人が被告の反対を押し切って原告会社に入社し、身元保証人になるよう懇願されて拒みきれずに引受けた。その際、被告は、丙川から原告がどのような会社で、丙川がどのような仕事をするのかなど何ら知らされていなかった。

(二) 被告乙山春夫は、昭和五五年一一月、丙川の前職場であった有馬温泉の旅館乙田に入社し、ほぼ同時期に入社した丙川と職場の同僚としてつきあっていたが、丙川の前科について知るよしもなかった。そして、丙川から、妻の花子と親戚の丁原松夫に身元保証人になってもらったが、あと一名必要なので是非身元保証人になって欲しいと懇請され、同被告も、身元保証をすることについて積極的ではなかったが、身元保証欄に、資産家である右丁原の署名があることから、安心して身元保証をなした(本件においては、原告は丁原に対する損害賠償請求を取下げている)。

また、同被告は、前記旅館乙田で経理事務を担当している丙川を見ており、通常の監査体制のある職場であるなら丙川は不正行為をする人間でないとの認識のもとに身元保証をしたものである。

(三) 被告甲野は、丙川が原告に入社してまもなく、生活態度が一変し、毎晩のように飲酒のうえ深夜に帰宅するなどの行状が続いたため、原告に対しても社長夫人を介してこのような丙川の行状を訴えた。しかるに、原告は、以後も丙川の行状に注意を払うことは一切なかった。

3 身元保証人のたて方に対する原告の関心の程度

原告は、丙川を職業安定所の紹介で採用し、入社早々、経理の重要部分を任せきりにしながら、身元保証の文面も専ら、丙川に任せ、身元保証人の資格等についても何らの注文をつけず、また、保証をしたかどうかの確認さえ全くしていなかった。

4 被告らの資産、収入等

(一) 被告甲野は、昭和六〇年三月一一日、丙川と離婚したものの、離婚後も婚姻中同人の肩替りをしたサラ金の借金、同人の購入した自動車代金の保証債務に追われ、同被告が勤務先の甲田から支給される給料の四分の一は差押えられている。

(二) 被告乙山も、勤務先の乙田からの給料のみで家族の生活を支えており、経済的余裕はない。

四 被告ら主張の抗弁に対する原告の反論

次の様な事情を斟酌すると、丙川に対する原告の管理・監督上の過失責任は決して大きいものとはいえず、むしろ、被告らの丙川に対する管理・監督者としての過失責任の方が大きいものがある。

1 丙川は、原告に入社当初から極めてまじめに見え、仕事振りも正確であったので、原告は丙川を信頼し月々の管理・監督をなおざりにした。

2 丙川は、原告の管理体制上の不備を逆手にとって入社後直ちに計画的に集金した金員の横領をなし、その手口は取引先の大口は会社に入金し、端数の少額集金分を長期間にわたって横領し、犯行の発覚を防止する手段を講じるという巧妙なものであり、また丙川には同種の前科があったがこれを秘して入社した。

3 被告甲野は、丙川の妻であり、同人の生活全般にわたって監督すべき立場にいた。しかも、同人が横領した金員はすべて同人の遊興費、サラ金返済費用(同人の実兄の分も含む)に費消されていたのであるから、被告甲野が丙川の不正に気づかないはずはなかった。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因について

請求原因1及び2の事実は、当事者間に争いがない。なお、請求原因1の事実のうち、原告が丙川を雇入れた時期については、《証拠省略》によれば昭和五八年一月二一日、《証拠省略》によれば同月末日となっており、その正確な時期は証拠上も必ずしも明らかではないが、いずれにしても原告が丙川を昭和五八年一月下旬ころに雇入れたことは明らかである。

請求原因3の事実のうち、丙川が集金した金員を横領して原告に損害を与えたことについては当事者間に争いがない。また、《証拠省略》によれば、丙川は、原告会社の経理業務を担当していた昭和五八年七月から同六〇年二月の間、別表記載のとおり、四三件、合計金九〇〇万〇、八七四円にのぼる集金した金員を横領したものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  抗弁について

そこで、原告が丙川の行為により受けた損害額は金九〇〇万〇、八七四円であることを前提にして、しかも、「身元保証ニ関スル法律」第五条において、身元保証人の損害賠償責任を決定するに当っては、「使用者ノ過失等一切ノ事情」を斟酌することが定められているので、以下、被告両名の賠償責任の範囲を定めるにつき斟酌すべき一切の事情について検討する。

1  使用者である原告の過失について

原告自身も丙川に対する管理監督体制が不備であったことは認めているが、さらに、原告の過失の態様、程度については争うのでこの点につき判断する。

《証拠省略》を総合すると、原告会社の経理は、当時、昭和五七年八月に入社した冨田部長と丙川、及び補助的な事務員約二名で担当していたが、丙川は、運送代金の請求書の発送、運送代金の集金、及びその集金した金員の取引銀行への入金、更に請求書、売掛帳、領収証等の作成という、まさに経理の枢要部分をことごとく、同人一人に任され、同人に対し上司として監督する権限と義務のあった訴外冨田部長は、自己の仕事のみに専念し、丙川の経理事務につき全く監督できていなかったことが認められる。即ち、振替伝票、請求書、領収書、帳簿類はすべて丙川の管理に委ねられていたため、同人は自由に売掛帳や資産表などを操作することができ、年一回の決算期における経理士による検査は、伝票と丙川自ら作成した資産表を照合するだけの全く形式的なもので、売掛帳と照合することは行われていなかったところ、訴外冨田は、日常、丙川が集金して発行した領収証と帳簿類(売掛帳、当座預金勘定帳等)を照合して監査したこともなければ、取引銀行に入金の有無を照会したこともないし、当初は実施していた一か月ごとの集計表の作成も早い時期に中止してしまっている。

右のように、原告会社が何通りか考えられる基礎的な検査監督方法のうちの一つでも励行しておれば、丙川は本件横領行為を全くなし得なかったか、または、たとえ横領し始めても、一年半余も放置されて損害額が多額にのぼることなく、もっと早期に発覚したものと推認される。

してみると、原告の丙川に対する管理監督体制は極めて不備、ずさんなものであり、これが主因となって丙川の本件横領行為が行われたものというべきであり、本件被告らの賠償額を決定する際、原告の管理監督体制の不十分さ、ずさんさは十分に斟酌されるべき事情と解すべきである。

なお、原告は、前記のように丙川に対する管理監督をなおざりにしたのは、同人が入社当初から一見して極めてまじめに見え、仕事振りも正確であったので同人を信頼していた旨主張するが、原告会社においていかに丙川を信頼していたとはいえ、経理担当者である丙川の非違過誤等を防止、又は発見するために適切な管理監督体制を講ずべきであるのにかかる対策を講ずることもなく、丙川の長期間にわたる多額の横領行為を看過したのであるから、原告会社の右主張は原告会社の過失を軽減する事由とはなりえない。

また、原告会社は、訴外丙川の横領行為は、原告会社の管理体制上の不備を逆手にとった巧妙かつ計画的なもので、しかも、同人には同種前科があるのにこれを秘して入社した旨主張するが、そのように丙川に不正行為の隙を与えたのは、原告の同人に対する管理監督体制が不備・ずさんであったことが主因となっているのであって、右主張も、原告会社の管理監督責任を軽減する事情とはいえない。

2  被告らが身元保証をするに至った事情と丙川の横領行為の認識の有無について

(一)  《証拠省略》によれば、被告甲野は、丙川が転職して原告へ就職することについて反対はしていたものの、丙川が原告に入社して、被告に身元保証を依頼するや、原告がどのような会社であるかということについては知らなかったが、丙川が原告において経理の仕事をすることは承知のうえで、しかし、丙川の前科については全く知らずに同人の妻として右依頼に応じたことが認められる。

(二)  《証拠省略》によれば、被告乙山は、丙川から懇請されて、前職場での同僚の誼として、やむをえず本件身元保証に応じ、その際、丙川が原告において経理の仕事をすることはよく知っていたが、同人に前科があることは全く知らず、通常の監督体制のあった前職場での同人の仕事振りから同人を信頼していたことが認められる。

(三)  なお、《証拠省略》によれば、被告甲野は、丙川が、小遣の割に週五回は飲酒して帰宅が遅くなることを問い質したり、原告の社長夫人が同席する自宅で、誓約書を丙川に書かせたりしていたが、丙川はその場を適当につくろい、また横領した金員は被告甲野に全く渡していないので、同人は、丙川が逮捕されるまで、丙川の犯行に全然気づかなかったことが認められる。

3  原告が身元保証人を必要とした事情と関心の程度について《証拠省略》によると、この点に関する被告ら主張の事実が認められる。そして、右事実によれば、原告は本件身元保証を一応世間並みの単なる形式・体裁と考えて余り重視しておらず、また身元保証人らにもその重要性と責任性につき説明と了解をえていなかったことがうかがえる。

4  被告らの資産、収入等について

(一)  《証拠省略》によれば、被告甲野は、丙川の犯行が発覚してから離婚し、現在はアパートで一人住まいをし、勤め先からの給料は手取り約一一万円で、その中から毎月、丙川の兄の借金を三万円ずつ支払っている状況で、他に預金等資産は全くないことが認められ、多額の賠償金を支払う経済的余裕がないことは明らかである。

(二)  また、《証拠省略》によれば、被告乙山も、勤務先乙田旅館からの給与のみで家族の生活を支えなければならない身であることが認められ、経済的余裕に乏しいことが窺われる。

5  まとめ

以上に認定した諸事情を総合検討してみるに、被告ら両名は、丙川が経理の仕事をすることを知ったうえで身元保証をしたのではあるが、同人が長期間にわたり多額にのぼる不正を働いて原告に多額の損害を与えたのは、原告の監督体制の著しい不備に起因するところが大であり、しかも、当初、原告は身元保証にさしたる関心も示していなかったのであるから、損害の公平な分担という観点から考えて、被告両名の責任の範囲は大幅に減額されるべきである。更に、被告甲野は妻として、又、被告乙山は情誼上やむをえず身元保証を応諾したものであること、被告らは丙川の横領行為を防止又は発見する具体的な方策もなく、むしろ丙川の不法行為につき賠償責任を負う立場にあったこと、被告甲野の方は、通常の妻としての立場で保証をなしたが、現在、丙川とは離婚し高額の賠償能力がなく、その点は、被告乙山も同様であること、その他本件にあらわれた一切の諸事情を斟酌すると、経理担当員としての丙川の身元保証をした被告両名の賠償責任については、身元保証に関する法律第五条を適用して、損害の公平な分担という点より、被告両名は、原告に対し、連帯して、本件全損害額九〇〇万〇、八七四円の内金一八〇万円の限度において、損害賠償の義務があると解するのが相当である。

三  結論

以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告両名に対し各自金一八〇万円及びこれに対する被告甲野については訴状送達の日の翌日である昭和六〇年七月九日から、被告乙山については同じく同月三日から各々支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるのでこれを認容し、その余は失当であるからこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小林一好)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例